第9回発表会を終えて

発表会皆さんお疲れ様でした。

残念ながら、都合がつかなかったり、体調不良だったりで来れなかったお友達もいましたが、参加した子どもたちの元気な姿が見られて発表会を開催してよかったと思いました。

今年は時間の都合で抽選会を行いませんでしたが楽しみにしていた方、大変申し訳ありませんでした。来年はやります。…たぶん。

 

 

唐突に思ったのですが、体操というのは、体を操るということのなので、頭で考えて運動をすることをいうのではなく、それも含めますが、体の感覚、骨も内臓も含めて、見えない自分の内面も体としてコントロールすることなんじゃないか、と思いました。子どもたちのまわりは昔と比べて情報にあふれていますから、情報で得た知識だけに頼ったり、頭だけで考えたりするのではなく、自分自身体全部感じる習慣を身につけてほしいと思いました。

 

 

変わらないものはないですし、

終わらないものはないです。ですが、その時その時に楽しいことはあります。

私は冬が苦手で、このままずっと寒いままなんじゃないかと疑いますが、やがて暖かくなってほっとして、なんとなく春の匂いを感じて、ああよかった!と思います。

夏になればまた、このままずっと暑い日が続くと疑うし、あんなに寒かった日があったことなど忘れています。でも秋になって肌に感じる気温に違和感を感じるようになると、さみしくて切ない気持ちになります。

大人になっても私は右往左往しています。

それでも、少しずつですが、まだ成長していることを感じています。傍目からすると衰えと見えるかもしれません。

 

自分自身を見つめるようになり、変化を受け入れられるように、というより微細な変化も正直に感じようとするようになりました。このこと自体が私の中では大きなことです。かつての自分は、自身のことはほとんどどうでもよくて、誰かのために何かができたら何でもやる、逆に必要とされないと思えば(勝手に判断してますけど)、身を引くというスタンスでした(この考え方自体、前者も後者も自分の責任を逃れて人のせいにしてますね)。が、少しずつ、私自身がやりたいと思うことを大事にしようと思っています。それが誰かのためになるのなら一層嬉しいです。

自分がやっていることで誰かが傷つくのなら、それはやりたいことであってもやりません。やりたいことをやっているのに自分が傷ついたり、疲弊したりすることも。

 

 

ありがたいことはすでに私にこの世界を見せてくださっていることです。

どうして自分がここにいるのかなんて考え出したら、無重力でいくつものビリヤードの玉がぶつかり合うかのようにどこで何がきっかけで押し出されてるのか自身からは全く見えないことばかりです。それこそ学者さんが宇宙の誕生がどうのこうのという話にまで遡ることになります。どういう経緯でここにいるかもわからなければ今後自分がどこへ転がってどこへどうぶつかるかはわかりませんが、すでにここまでぶつかってきたもんだから転がっていく方向は、それを知らないとしても、自分が転がる方向に抗っているようでも、それは決まっているのでしょう。

だとしたら、何をしても仕方ないからと諦めますか?それも選択肢でしょう。が、これから用意してもらっている日を一日一日を大切に味わうほうが楽しいに決まってますよね。

発表会は9回目ですか、体操クラブは私が指導を始めて今年で10年になりました。

今年の発表会が今までで1番良かったです。

来年もきっとそう言えるようにしたいです。

 

 

誰も、他者の感覚を真に理解することはできません。

でも、矛盾するようですが人は言葉によって、自身の感覚や複雑な思いを共有しようとしてきました。また、表現して何かを伝えようとしてきました。「同じ気持ち」というのは果たしてどこまで本当なのか、分かりませんが、信じることはできます。

発表会が楽しかった。きっと皆さんがそう思ってくれたと信じています。

皆さんのことが大好きです。

 

 

大袈裟かもしれませんが新体操を通じてたくさんのことを学び、自分自身の生き方についても考えるようになりました。

押し付けるわけでもないですが、皆さんにとっても新体操が大切な何かに、思い出、健康、楽しみになればいいなと思います。そうやってお役に立てることがあれば嬉しいです。

 

 

皆さんの思考がいつも前向きでありますように。

皆さんの口からいつも綺麗な言葉が出ますように。

皆さんの心がいつも穏やかでありますように。

ナマステ。

 

 

(最後の「皆さんの思考~」は尊敬する先生のパクリです笑。開演前のおまじないみたいなのも受け売りです笑自分の言葉で表現しなくっちゃな、と思いながら終わります。)